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「ぶれない芯!DABOさんに聞く本当の自分の作り方」〜前篇〜

「ぶれない芯!DABOさんに聞く本当の自分の作り方」〜前篇〜

みなさんDABOさんをご存知でしょうか?

ラッパーとして20年以上のキャリアを誇っていて、名実共にシーンを代表すると言っても良い1人である。

 

「え?オールユアーズがラッパー?なんで?」

 

僕たちオールユアーズがDABOさんをフューチャーすることになったキッカケはシンプルに、

DABOさんが僕たちの理想とする人物だった。って事だ。

 

それともう一つの理由としては、今回オールユアーズのInstagramにて行う企画に登場してもらうのがDABOさんなのです。

企画自体は今日からスタートしてるのでぜひInstagramをチェックしてください!

オールユアーズのアカウントはこちら → https://www.instagram.com/allyours_jp/

 

長きに渡り音楽というカルチャーに身を置き、伝え、現在も進行形で活動できているというのは並大抵の事ではありません。

 

そこには誰に何を言われても変わらない1つの強い〈芯〉があった。

 

 

ブレない芯を持って活動している人生の先輩DABOさんに〈本当の自分の作り方〉をお伺いしてみた。

 

――――――

〈「DABO」とは?〉

 

今回は快くお話をお受けいただきましてありがとうございます!改めましてオールユアーズのバヤシです!よろしくお願いします。

早速なんですが、オールユアーズのユーザーの方で「DABOって誰?」

ってなっている方も多いと思うので、自己紹介をお願いします。

 

こんにちは、DABOです。

ラッパーやってます、よろしくお願いします。

音楽キャリアはなんだかんだもうすぐ30年位になりますね!

よく、、、やってるっすよね笑

 

 

僕、バヤシが好きなPVをペタリ(よくカラオケで歌ってました

 

30年!僕が30歳なんで人生+やっている事30年は深すぎる、、、!音楽始めたキッカケってなんなんですか?

 

キッカケね、うーん、そうだな。キッカケを話す前に俺ら世代について話そうかな。

俺らの世代って、〈バンドブーム世代〉なんで、中学の時にずっとロックやパンクを聞いていて、思春期なんで激しいのを求めてました。

そのあと高校でダンスブームになって、TVやラジオでHIPHOPを耳にする機会が増えてきて。

で、「パンクより激しいし、、、何よりチャラついててもOKだし、横にネェちゃん。これはいいぞ!」って思いまして笑

 

22~23歳頃のDABOさん

 

 

ダンサーがスゴいモテる時でさ、ラッパーはと言うと地の底くらいのレベルの人気で。

俺はHIPHOP聞いた時に、「あっ、ラップしたい」って思っちゃったからラップしてるけどね。

でも、当時は「ホントに日本語でラップすんの?」って議論とかが起こってて

 

そんな時期が!正にカルチャーが生まれる創世記って感じですね。

 

本場のノリが好きなやつらは英語でやるぞ!みたいな。

俺がHIPHOPにのめり込んだ時に既に演者は沢山いたけど、物好きしか集まってない相当小さいカルチャーだった。

普通の一般社会では「へぇ~ラップやってんだ!すごいね!」ともならないし、尊敬もされなかったんだよね。

だからバイト先の人とかにも言わなかった「俺ラップやってます!」とか笑

親にも言わなかったなぁ。

 

それくらい粛々とやられて時期もあったんですね、、、。

 

でも言い換えると、同じことが好きな仲間だけでやってたって感じだったよ。

その時間を共有してたっていうかね。

 

 

スモールカルチャーの中で理解者が増えると嬉しいですよね。

 

俺がハマった90年くらいから96年くらいまでのことをHIPHOP歴史的に「冬の時代」って言うんですよ。

カッコいい先輩達が、世間的に認められてなかったのがどんどんと認められて、俺達のスターから、みんなのスターへ駆け上がっていくのを目の当たりにしてさ。

ラップだけでお金稼ぐとか、何千人規模のお客さんを呼ぶとかって夢を貰って、その後の自分活動に繋がっていくんだよね。

0から100というか、全部見た。僕の糧になってます、良い時に良いもの見させてもらいました。

 

当時のライブの様子

 

何かが、それが例えば建物でも、会社でも、カルチャーでも、出来上がっていく過程で、自分がそのタイミングにいるかいないかは完全に自分次第ですもんね。世間的な価値へクリエイトされていく良い時間だ、、、。

 

先輩たちと俺も一緒に寒がっていた冬の時代を乗り越えたって感じかな、

 

まさに冬の時代の雪解けですね。僕らオールユアーズも今そんな感じなのかな?って思います。

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〈昔と今〉

 

〈昔と今〉に関してお伺いさせてください。クリエイトや、自分にまつわることで、大きく変化した事ってありますか?

また、そうなってしまったことで自分はどうなった?などお聞きしたいです。

 

そうですね、、、ズバリ、インターネットですね。

インターネットというより、テクノロジーの進化がすごい大きいのではないかと感じます。

どうしても回り道しなきゃいけなかったことが手軽に始められたり、SNSによる「拡散」の登場が良くも悪くも一番違うかな。

こう、、なんだろ、遠回りを不便と言ってしまうかどうか。ってあるじゃないですか?

遠回りが大事だった。って事があったりしますよね?新しい発見とか。

 

普段右に行く道を左に行くだけでも新しい発見ができるくらいですもんね。

 

僕の場合、例えば、アルバムを日本で仕上げてミックスして、製品にする時にマスタリングって工程を挟むんですけど、メジャーレーベルだと海外でやるんですよね。

僕はニューヨークで行うことが多かったんですが、それが僕たちにとってご褒美みたいなもんで「ただでNYに何泊か出来る!」的な。

で、それだとお金が勿体無いんで、向こうで宣材写真撮ったり、メディアにしたりと色々やって。でもそれって楽しくてさ。

 

NYより帰国後のDABOさん

 

結構、、バブリーな活動ですね。NYにマスタリングはいつくらいまで行っていたんですか?

 

2000年代前半までやってたかな?インターネットの普及でマスタリングがメールのやり取りで行えるようになったんで、

会社は大助かりなんですけど、こっちからしたら「NYご褒美が~!!」みたいな笑

 

結構最近です、、よね?!2000年代って聞くと、、、。

 

そうですね、流行りも、何もかも、5年周期くらいで色々代わるよね。

2000年の流行りと、2005年の流行りは違うし、なんなら今はもっと短いスパンに感じます。

 

そんな〈昔〉があり、〈今〉2019年ですが、ご自身の音楽のスタイルをやり続けれている秘訣ってありますか?

 

うーん。あんまりパッと浮かばない、、、かなぁ。

音楽をここまでやり続けられたのは、おそらく評価されたからだと思う。

 

 

評価、ですか。

 

うん、評価。

10代の時って「パンクやべぇ!」ってなって、1~2年で飽きがきちゃう。

で、その他に興味が移って、また「やべぇ!」ってなって飽きがきちゃう。

周期的に飽きがくるって経験はありませんか?

 

1~2年も持たずにありますね。早いと3ヶ月くらい、、、3日とか、、、笑

 

早いな笑

正直HIPHOPにハマった時にも「これもいつか冷めちゃうのかな、、、」って思いましたもんね。

結果的にアーティストとして確立できたんで「冷めなかった~!良かった~!」ってホッとした部分もあります。

 

そうなんですね!「俺はコレだけでやっていくんだぁ〜!!!」ってイメージがあったのでなんだか意外です!

 

24でインディーズデビュー、その翌年にメジャーデビューするんですけど、

22~3歳くらいまでは「ラップで食っていこう!」とは全然思ってなかったです。

正直ギャラもなかったし、呼ばれたら行く、ラップする、それは楽しい。なんだか夜遊びの延長みたいだったんですよ。

まさかそれで食っていくとは思ってませんでした。

僕の周りの先輩も実際はラップ一本で食って行けれてなかったし。

 

未来が想像しにくい環境だったんですね。

 

さんぴんキャンプ(1996)

 

96年に〈さんぴんキャンプ〉※Wikipediaに飛びます

があって、HIPHOPって「村」の景気が上がるんですよね。

いつの間にか周りの先輩が毎日焼き肉食ってたり、地方行ってたり、違うネェちゃんと遊んでたり笑

「あれっ?!」ってなりますよね。

 

自身の未来像を見せてくれる先輩の活躍があったんですね。

 

そう、でも俺らはムーブメントの一員とは感じてなく、正直お先真っ暗でした。

 

そんな絵を見ても、そう思ってしまったのはなぜですか?

 

、、、全然お金なかったし、正直借金もしてたし苦笑

22~23くらいの時に、僕のダメな感じが煮詰まってきちゃって、そんな僕を見た周りのメンバーが見るに見かねて

「ちゃんと音楽やってみたら?」って言ってくれて

 

自分の中揺らいでいた時期だったんですね。

 

 

そうなんです。普通に会社員として働くのとかは嫌だったんで、、、。

やるかやらないか。って状況になったから「音楽やってみっか!」って感じで12インチをマンハッタンレコードからリリースしたんですよね。

したら、急に70万くらい手元に入ってきちゃって。

「あれっ?!借金返せた!」って「ははーん、これを繰り返せば良いのか!」って笑

 

 

初のシングル「Mr.Fudatzkee」

 

「2曲のシングルじゃなくて、これを15曲のパッケージにすれば、、、」

倍々で入ってくるよなぁ、、、。なるほど!と

で、音楽やることを決心するんですよ笑

 

面白い笑

でも大事な1個の成功体験ですね。

 

ありがたいことにそこから全然売れないって事もなく、すぐ火がつきましたね、笑っちゃうくらい。

ソロとしてDEF JAM JAPANと契約したりと、今思えばトントントーン!って。

やるぞ!って決めてからはあっという間でしたね、3年くらいで景色が変わりました。

だから続けられていると思います。

これがもし、苦節何年!とかだったら「ちょっと、、、」って思います。

若いときの苦労って当たりまえじゃないですか?正直体力もあるし、なんてことないじゃないですか?貧乏で、考えが冴えないのも当たりまえだし。何も知らないからね。

でもこれが30歳くらいになって、働きながら夢を追ってます!って人には俺は慣れなかったかなぁ。

24~5歳で認められたから「あぶねー!」ってなったわけです。

 

あぶない?笑

 

死んだ親父が「25までは夢を追っかけろ、それを越えたらお前の首根っこひっつかんでも普通の仕事させるからな。」って

親父こえぇぇぇ~!どうしよう~!的な笑

 

25の壁笑

 

いや、ホントに壁がジワジワと自分に近づく感じがありましたもんね。

でもさっきも話しましたが、24歳でインディーズ、25歳でメジャーレーベルで「間に合った~!」って感じでした。

でも、その時でも親にはまだラップやってるって伝えてなくて。

そしたら25歳の時のソロアルバムの全国ツアーのツアーファイナルの会場で、

いつものように楽屋で控えてたら、突然両親が訪ねてきて!

「どうしたのよ!朝日新聞に載ってたわよ!」みたいな笑

「うーん、まぁ、今はこんな感じ笑」ってね。

 

当時の様子、後にグループとして活動する〈NITRO MICROPHONE UNDERGROUND〉のメンバーと共に

 

実際に沢山の方の前でパフォーマンスするDABOさんを知ってビックリされたのでは?

 

かもしれないですね笑

本腰入れてから、トントン拍子でやってこれたってのが本当によかった。

評価されるって誰もが嬉しいじゃないですか?あとは好きだったなぁ、ラップが。

好きなことで褒められるから、じゃあ俺頑張る!

その繰り返しの20年です。

 

一番シンプルで、明確な事実ですよね。褒められるって。褒められて嫌な人はいないだろうし。

 

洋服売ることも、音楽売ることも、お客さんがいて成り立つじゃないですか?

発した意見にお客さんが賛同してくれないと、ただの独り言になっちゃう。

例えば僕なら、「ライブ行ったよ!」とか「CD買ったよ!」とか「Tシャツ買ったよ!」

とか、感謝しか無いし、高いモチベーションになりますよね。

僕はお客さんを、「HIPHOPリスナーを育てよう!」って気概でやってましたが、後から気づいたら「あぁ、俺はお客さんに育てられてるなぁ」って。

 

お客さんの人数=評価だし、お客さんがいるからこその自分の地位ですもんね。

 

僕はかっこよく「お客さん1人でもライブやります!」とはなりませんね、、、。

こうゆう時代なんで、何が売れるかわかんないし、逆にコレ売れないんだ?!とかあるじゃないですか?

集客とか実売に並は必ずあるから、下ばっか見てちゃ勿体無い。でも、あまりにも下ばっかり続くと

「俺のやっている事は違うのかもしれない」ってなりますよね。

でもまぁ、今こうやって、なんとかやれているのは「俺はまだ廃れてないなぁ」とか、まだ世の中に需要あるとか思えるからなのかなぁ。

 

————-

 

シンプルだった。思ったよりシンプルだった。

なんか勝手にゴージャスで、豊かで、色でいうと金色をイメージしていたが、それはまるで違ってた。

今でも何色にしようか悩んでいて、それでいてワクワクしている。

話を聞いていてそんな印象だった。

褒められることに関しては、いつからか恥ずかしみに変わってしまい、何故か自分への評価の疑いが生まれ、気持ち人からの評価をまともに受けれなくなっている人もいるのではないでしょうか?

自分を少し褒めてみるのも大事な事で、自身を奮い立たせるには十分な要素なんだ。

と思うひと時でした。

 

後篇では、順風満帆に聞こえる〈ラッパーDABOとしての人生〉

そして、何物にも変えられない、そして変わっていない〈自身の活動の芯〉に関してお届けします。

 

7/12 21:00に公開予定!お楽しみに。